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特集
レゲエの王様「ボブ・マーリー」を知る

♀ Redemption Song ♀
(救いの歌)
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♪ WORDS AND MUSIC BY BOB MARLEY ♪

ボブ・マーリーことRobert Nesta Marleyは1945年2月6日にジャマイカ北部のセント・アンという街で生まれた。父親はイギリスの軍人、母親はアフリカ系のジャマイカ人だったが、父が死に12歳でキングストンのトレンチタウンに移り住んでいた。トレンチタウンは、地方から職も金もない人間が集まって来てスラム街をなしている場所だったが、そこで彼の音楽的な基盤がつくられるようである。

レゲエは‘60年代にジャマイカで誕生した新しいジャンルの音楽で、その語源についてははっきりしていない。もともとあったアメリカのリズム&ブルースにアフリカ的なリズムを加えたアップテンポの“スカ”からちょっとスローダウンした“ロックステディ”を経て、キングストンのスラム街であるトレンチタウンのルードボーイ(不良少年)によって完成されたものである。そののんびりとしたリズムはジャマイカの自然や人々の暮らしに、どこか通じるものが感じられる。シンプルだが力強く、ゆったりとしているが心に響く音楽。それは心臓の鼓動にも似ている。
ボブは、1965年バニー・ウェイラー、ピーター・トッシュらと“ウェイラーズ”というバンドを組み、社会からはみでた人間たち、そしてトレンチタウンのことを歌い、一躍ルードボーイたちのヒーローとなった。しかし、まだレゲエというジャンルは確立されておらず、はじめは独立直後の混乱期にあったジャマイカの、人々の共感を得た音楽だったレゲエだが、‘70年代に入って驚くほどの勢いで世界中に広まっていった。そしてそのリズムにラスタのメッセージをのせて、レゲエとともにラスタファリズムの精神を伝えたのが、キング・オブ・レゲエ、ボブ・マーリーである。
ボブはもともとクリスチャンだったが、ラスタにのめり込んでいった’67ようやくレゲエという音楽ができあがっていったのである。つまりジャマイカのレゲエはラスタファリズムの存在抜きに語れない。
ラスタファリズムとは1930年代に活躍したジャマイカ出身の社会運動家、マーカス・ガービーがアフリカ回帰を唱えたことから始まったもので、一種の宗教ともいえるものである。
1人の黒人が王座に就くとき、黒人は神によって救われるだろう。「彼こそ我々の王であり、神である」というガービーの予言どおり、1930年、エチオピアにシバの女王の血筋を引くといわれるハイレ・セラシエ皇帝が誕生した。しかし、彼自身はクリスチャンであり、その予言や自分自身がラスタファリアンが示すこところの神だという確信は持っていなかった。ゆえに、ジャマイカのラスタファリアン達の代表としての1つのグループが彼に敬意をはらう意味で、エチオピアを訪れたときも、宮殿のもの達に追い返させた。要するに、神でさえも自分が神であると確信していないように彼もまたそうであった。

数年後、ハイレ・セラシエ皇帝がジャマイカを訪れたときも彼らラスタファリアン達の空港での歓迎ぶりは、凄かったらしい。
それほどまでに崇拝するハイレ・セラシエ皇帝が亡くなったときも、彼らはメディアによってそれを知らされたが、決して信じようととはしなかった。むしろ、神への信頼を下げようとするメディアの罠であるとし、たとえ肉体が滅びたとしても魂は滅びず、山の頂上=聖地(ザイオン)に留まりつづけると今も信じている。ハイレ・セラシエが亡くなったとき、彼が身につけていたリングをボブに与えたともされている。
ハイレ・セラシエとは聖なる三位一体の力(Power of the Holy Trinity)という意味である。彼の子どものころの名はラス・タファライ・マコネンであり、ラスタの語源はここにある。ゆえにラスタ・カラーはエチオピアの国旗の色、赤、黄、緑(それぞれ血=ラスタファリアンの歴史に犠牲が流した血を記し、太陽=母国の富を表し、自然=エチオピアの憧れの美および植物を表している)となるのである。また、自然を大切にするゆえにアイタルフードという自然食=化学調味料を使わない自然のものを食べ(菜食主義)、髪の毛も生まれながらのものを切らずに伸ばすため、縄のれんのようなドレッド・ロックスという髪型になる。これはジューダ(トライブの名=部族の一種)のライオンの様をも表している。こうしてラスタマンのシンボルのヘアー、カラーが生まれた。また、彼らラスタファリアンの神の名はヤハウェ=YAHWEH=JAHAWEH=JAHである。そしてジューダのライオンはハイレ・セラシエであり、ライオンがすべての動物の王であるように、ハイレ・セラシエこそ王の中の王「King of Kings」であると表している。そして、バビロンは過去、何世紀もに及び、奴隷制度等によって黒人種達を抑圧してきた白人達の政治権力者達を示すラスタファリアン主義の用語であり、奴隷制度は無くなった今でも、人種差別や偏見・不平等は存在し、彼らの中のバビロンに対しての闘いは今も続いる。そして、ガンジャ=マリファナもラスタファリアンが宗教的な目的としても使用されてきた。
現在ラスタファッションの若者はジャマイカでも少数派であるが、そういうファッションよりも、根底にある黒人のルーツ、つまりアフリカに対する思いと、黒人はすべて1つの家族なのだという連帯感の強さが驚かされるものがある。彼らはカリブ海の島に生まれ育っても、決してアフリカを忘れていないのである。

ボブはそのラスタファリズムをレゲエのリズムに乗せて歌い、レゲエとともに世界中にメッセージを投げかけた。黒人の「真の独立」を求めて。つまり、レゲエはすでにラスタファリズムを代弁する音楽となっていったのである。

‘76年、この頃ボブは政治的活動に積極的になっていた。その年の12月に平和コンサートを行う予定でいたが、その数日前のある日、彼は自宅で銃撃に合った。さいわい妻のリタが一緒にいて、手当てが早かったので一命は取りとめたが、左腕と左胸を負傷した。その後一時的に彼はジャマイカを離れた。

‘78年にボブ・マーリーの歴史において2つの大きな出来事があった。この頃ジャマイカでは、政治的な暴動が絶え間なく起こっていた。彼は首相マイケル・マンリーとその反対党の党首エドワード・シーガを招き、平和コンサートを開くため、再びボブはジャマイカに戻った。この敵対する党派の代表2人を舞台に上げ、互いに握手をさせ、平和を願った。また、この年の終わりに、ボブはケニア、そしてエチオピア(ラスタファリアンが示すところの聖地がある場所)を訪れた。これがボブにとっての最初のアフリカ訪問となった。この年日本でもコンサートを行い、日本のミュージシャンにも大きな影響を与えた。翌年の’80年には、ジンバブエの政府の公式訪問を受け、再びアフリカを訪れた。その後、ヨーロッパツアーを始め、アメリカにも渡り、マジソン・スクエア・ガーデンにおいてもショーを行った。
しかし以前からサッカーによるケガによって発生した癌が、すでにこの頃ボブの体を蝕んでいたのが悪化して、すぐさまマイアミ病院に入院し、8ヵ月の闘病生活の後、‘81年5月11日、36歳の若さでこの世を去ってしまった。同年、5月23にジャマイカにおいて、公式な葬式が大々的に行われ、両党の党首も出席したそうだ。その後、ボブの遺体は出生地に戻され、今はそこで永眠している。聞くところによると、ボブの墓はエジプト形式の墓のように棺がガラス張になっており、皆が見れるようになっているという。彼が死んで20年以上経つ今でもそのメッセージは音楽として残され、息子ジギー・マーリーを始め、サード・ワールド、シュガー・マイノット、スライ&ロビー、アフリカではロッキー・ドゥベイなど、世界中のミュージシャンによって受け継がれているのである。
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